【いさま会】 会員紹介
佐々木(初段 女性)
☛居合を始めた動機
母方の祖母が「武家の出身」と伝え聞いており、母が祖母から言われ続けた「お前は武士の子」「世が世ならお姫(ひい)様」を私も度々言われて育ちました。
昭和の世に何が武士の子だと思っていたのですが、祖母の形見の着物に入った結婚前の家紋が、白地に太い横線が1本描かれた「大中黒(おおなかぐろ)」「新田一つ引き」だったのです。
祖母方の家紋であるということは、祖母の実家は武士の出なのだ…だとしても新田って、鎌倉幕府を滅ぼしたあの新田?変な家紋だと思って調べると、この家紋は武将・新田義貞の血筋が濃い家系だけに許されたもので、後に徳川家康も使用したというものでした。
家康が新田の子孫であるとの見解もあるそうです。
(ちなみに新田の先祖は源氏で、同じ源氏である頼朝の建てた鎌倉幕府を、のちに攻め落とすことになります。)
祖母の血筋に驚いた上に、子供の頃の家紋が「丸に剣片喰(まるにけんかたばみ)」だったことで、侍への興味が湧いていきます。
しかしながら「丸に剣片喰」は多くの武将が好んだ家紋でたくさんの武家に分布し、特定の武将が持つものではありませんでした。
この家紋がかっこよくて大好きで、武士が好むとあれば細かい謂れなどどうでもよく、小学校高学年の頃には武士の子であるということに、よくわからない誇りを持つようになります(それもお姫様の方ではなく、侍の方)。
その後、結婚して変わった現在の家紋は「武田菱」。
古来より皇室伝統の「四つ割り菱」紋様を元にデザインされ、武田信玄が家紋として使用しました。
「四つ割り菱」紋様は今でも皇室に使われており、新年の参賀の時の後ろにある几帳にもこの紋様が使われていました。
家紋というのは何かしら武将にまつわる謂れがあるものですが、無駄に侍の誇りを身につけた自分にはそんな当たり前のことすら目に入りません。
「武将に由来のある家紋を授かってきた」との思い込みで、常々思っていた侍への憧れが大きくなり、専業主婦として時間ができた今こそチャンスと思い居合を始めました。自分が無心になり集中できる時間が欲しかったこともあります。
☛いさま会入会への動機
いさま会を選んだのは、HPでいろいろな流派や会を見ていて、いさま会の雰囲気がとても好ましかった上に、ちょっと遠いけど車で自宅から通える場所であるのと、無外流が派手さが無く無駄の無い、品を感じる流派だったからです。
見学に行って感じたのは、居合の道場は怖いと思っていたのと違い、穏やかな中にも厳しさのある角のない会であるということ。
怒鳴られて指導することは微塵もありませんでした。
自分は子供の頃から運動音痴で、居合など敷居が高いのではと不安もありましたが、駄目なところは正し方を、良いところは誉めてくださる身になる指導を見て安心して入会しました。
これだけ書き連ねると、いかにも私が武士のような熟練者に思えますが、それとは反対に、永遠の初心者と言っていい不甲斐なさです。
それでもやめずにいられるのは、いさま会の丁寧な指導や道場の親しみある雰囲気で、年齢問わず無理なく続けられるからだと思います。
最初の一歩は勇気がいりましたが、今はいさま会に入会して良かったと思います。
無外流いさま会は技と共に、自分の小さな小さな侍魂を、優しく、厳しく、指導してくださっているのだと思っています。
☛居合以外の趣味
・野鳥撮影
・登山(3000m級・日本の標高Best10制覇+剱岳)
・ジムカーナ(車の競技)
藤田 悠星(六段練士)
☛居合を始めた動機、いさま会入会への動機
50歳になったとき、そろそろ定年後の人生、趣味を考えるようになったのがきっかけです。
40代の頃から、各種の歴史祭(石和川中島合戦・謙信公祭・関ケ原合戦祭り・武田勝頼公まつり)等に参加していた私。

チャンバラ合戦もどきをやって、刀を扱うことに興味がありました。
そんなことから、居合をやってみようと決心。
「本当の刀を扱いたい」「健康のためにもなりそう」「一人でも稽古できそう」「定年後の趣味を持とう」
これがきっかけとなり、2010年に故・藤原氏が開設した「いさま会」へ、同年9月に入会しました。
☛居合以外の趣味
・温泉めぐり
武田信玄公の隠し湯へは、何か所も宿泊しました。
信玄公は各所に温泉の開湯を奨励しています。
山梨の下部温泉、川浦温泉が特に有名ですが他にも各地にあります。
例:丹沢・中川温泉信玄館
・歴史調査
出生から30年間過ごした三浦半島。
横須賀は鎌倉期の豪族であり、幕府の要人でもあった三浦一族の地。
マイナーな城址散策(我が家の墓地は大矢部城址跡の公園墓地)、重文の仏像拝観詣りは定期的に行ってます。
なお、「三浦一族研究会」の会員でもあります。
☛経歴
・横須賀市生まれ。
・不入斗中学時代は山口百恵さんと同級、一級上の幼馴染にプロ野球・元ロッテ・広島・ダイエーの水上選手がいました。
・県横須賀工高卒、同年に相模鉄道入社。
・相鉄では車両関係一筋で42年間在籍。(車両センター、および車両課)
・令和3年11月3日 瑞宝単光章受勲(鉄道従事功労者関係)
